2017年6月22日木曜日

Pick up Athlete ・Yoshito Watabe・



「空から雨が降ろうが矢が降ろうが関係ない」
降りしきる強い雨の中、ローラースキー練習で汗を流す。
「目指すは平昌五輪表彰台」

渡部善斗選手 25歳 スキーノルディック複合 北野建設スキークラブ所属
チームのムードメーカーで、善斗選手のいるところ、いつも笑いがある。

競技においては前半ジャンプ型の選手だ。
持ち前のジャンプの巧さを武器に、World Cupなどの国際大会では
ジャンプでの首位獲得を何度も経験。

近年は走力に力を入れクロカンの実力が一気に向上した。
後半のクロカンで順位を上げることができることは頼もしい。

表情はいつも穏やかではある。
しかし、その目は鋭く平昌に向いている。

   Yoshito! Keep going!





2017年6月20日火曜日

荻原健司 共同通信コラム April/2017

渡部、精力的にテレビ出演
複合を自分の言葉で発信

 私がゼネラルマネジャーを務める北野建設スキー部所属でソチ冬季五輪ノルディック複合銀メダリスト渡部暁斗の春の過ごし方が、これまでとちょっと違います。取材やテレビ出演などを断ることが多かったのですが、この春は精力的にこなしているのです。
 理由を尋ねると「やっぱり自分の言葉で発信していかないと駄目ですよね」との答え。あえて理由は聞きませんでした。なぜなら私には同じ競技経験者として分かるからです。それは複合をもっと知らしめなければということ。発言を聞き、同じ体験をしているなと思いました。
 1992年アルベールビル五輪で私が金メダルを獲得した時に「ノルディック複合というスポーツがあったとは知りませんでした」と周囲から言われました。金メダルの喜びに浸る間もなく、あまりにもマイナーだったと思い知らされたのです。胸にぐさりと突き刺さり、その後の大きなモチベーションとなりました。「複合を日本中、誰もが知っている競技にする」と強く決意したのです。
 そのために必要なのは勝ち続け、取材やテレビ出演を積極的に受けること。自らの言葉で発信する重要性を認識したのです。徐々にマイナーとの表現は聞かれなくなり「荻原さんの活躍で複合は有名になりましたね」と声をかけられることが増えました。それは最高のねぎらいでした。 私も引退してずいぶん時間がたちます。残念ながら渡部のような若者世代には複合を知る人が少なくなっています。渡部は肌で感じているのでしょう。実体験から来る前向きなエネルギーは五輪シーズンへ間違いなくプラスになるはずです。
 最後にひとつだけアドバイスを。せっかくメディアに出ているのですから、もう少し明るく元気に振舞いましょう。

2017年6月14日水曜日

Testing a new prototype

ツインズにて開発中のスキージャンプ用靴下のサンプル1号が仕上がりました。
早速、サマージャンプ練習中の選手に試してもらいました。
素材、機能など、とことんこだわった最高の製品をめざして!
日本の誇りとともに、Made in Naganoです。
 


2017年6月2日金曜日

荻原健司 共同通信コラム Mar/2017

兄弟で五輪メダルを
渡部暁斗と善斗に期待

 フィンランドで行われたノルディックスキーの世界選手権の複合で、私がゼネラルマネジャーを務める北野建設所属の渡部暁斗が個人ラージヒルの銀メダルを、弟の善斗と組んだ団体スプリントの銅メダルを獲得しました。これまでの取り組みが報われたと思っています。
 3年前のソチ冬季五輪銀メダルの暁斗は自他ともに認める世界のトップ選手。ただ弟の存在はあまり知られていなかったかもしれません。今回、自分たちの力で兄弟であることを広めました。それは昔の私たち兄弟を見ているようでもありました。
 双子の弟、次晴は私が1992年のアルベールビル五輪団体で優勝した時、無名でした。同じ複合選手とはいえ、突然有名になった私に弟がいることなど、ほとんど知られていませんでした。
 「健司には、そっくりな弟がいる」と親切に報道するところはありません。私に間違われた次晴は道を歩けばサインや写真撮影をお願いされたようです。本人からすれば人違いですから「いえ、違います」とその場を立ち去ると、背後から「なにさ、有名人ぶって」と嫌みを言われたこともしばしばあったと後に聞かされました。
 双子と知られるようになったのは、95年の世界選手権団体金メダルがきっかけです。私も次晴も優勝メンバーでした。さらに98年長野五輪の団体で5位に入賞して完全に双子であることを証明できました。「兄に間違われたくない」精神が、2人で切磋琢磨する結果になったのです。
 善斗は暁斗より3歳年下です。兄より成績が悪くても「ジャンプは僕の方が絶対うまいですから」と強気です。この負けん気がいい。いつまでも兄の陰に隠れてはいられないとの思いを来年の平昌五輪で爆発させ、私たちがかなえられなかった兄弟での五輪メダルを実現してもらいたいです。